ladylesson’s diary

よりよく生きていくためにいろんなことを実験してみるブログです。

ゆるく考えよう

読書日記

ちきりん ゆるく考えよう

 

 

目次:

1、ラクに生きる

2、「自分基準」で生きる

3、賢く自由に「お金」と付き合う

4、仕事をたしなみ、未来をつくる

5、ストレスフリーで楽しく過ごす

 

 

記憶に残ったぶぶん

人生の主役を生きる

 

昔の作家や哲学家などが残している名言の中で、強く共感した言葉があります。

最も好きなのは、フランスの女性小説家、フランソワーズ・サガンの「たとえ悲しくて悔しくて眠れない夜があったとしても、一方で嬉しくて楽しくて眠れない日もある人生を、わたしは選びたい」という趣旨の言葉です。

彼女は若くして小説がヒットし、大金を手にします。すると様々な思惑のある大人たちが彼女の周りに集まってきました。彼女はそういう人たちとオープンにつきあい、ときに無茶をします。それに対して、「善良なる大人たち」が彼女に忠告します。

中略

そのアドバイスに対する彼女の回答がさきほどの言葉です。

 

騙されること、利用されること、傷つけられることを必要以上に怖がり、器用にさけて生きる必要はないでしょう。それらを恐れて何もしなければ、楽しくて嬉しくてすばらしいことにも出会えないのだから。私がほしいのは「何も起こらない平穏で退屈な人生じゃないのよ」と彼女はいっているのです。

 

ちきりんさんは、大学生のころにこの小説を読んで、人生の主役を生きようと思ったらしいです。

わたしも、保守的な性格なので、ただただ周りの人がどう動くか見ている、「傍観者」になってしまうことがよくあります。

傍観者ではなく、自分のしたいこと、やりたいこと、をしようとして、人生という舞台にまずは立たないと楽しくないですね。

 

自由であること

 

自分を縛っているもの、それは社会規範であり世間の目です。しかし、さらにいえば、自分の心のなかにある「自己保身欲」や「プライド」、「不安感」といったものが自分の生き方を強く縛っていて、本当の意味での自由に生きることを妨げていると気づいたのです。

形式的に自分を縛るもの、たとえば家族のために働くとか必要があるとか、介護や育児をしなければならないというわかりやすい縛りがあると、まるで自分はその縛りがなければ自由になれるかのような幻想に浸ることができます。高校生のちきりんが「経済力さえあれば自由になれる」と信じていたように、です。けれど、そういった「安直な言い訳」から解放されると、人は本当に自分を縛っているものと対峙することになります。

ちきりんは、一度も自分の収入以上の生活をしたこともないし、幼稚園から大学院まで寄り道せずに進んできて、社会人になってからはずっと正社員で働いてきました。もしも自分が本当に自由に生きてきたなら、こんなふうになっているとは思えません

 

これは自分の中では新しい気づきでした。人は自由になれない原因(介護とか家族のためとか)を自分で勝手に設定して安心しているのだ、と。

その勝手に設定した原因がなくなったところで、人は自分の心のなかの「自己保身欲」や「プライド」のために自由になることはできないのだ、と書いてありました。

 

自由って難しい。

たとえば一カ月与えられたらなにをするんだろう。

自分で自分が好きなことを見つけ出すってなかなか大変なんですよね実は。

 

とくに、優等生タイプの人たちは大変。